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世界遺産実現へ、日本最大級の金銀山「佐渡金山」―黄金の島・佐渡(前編)

キーワード佐渡金山 

新潟市の沖合に浮かぶ外周280キロメートルの佐渡島。「佐渡」と聞いたらまず思い浮かぶのが「金山(きんざん)」。「今昔物語集」や世阿弥の「金島書」にも登場するなど古くから「黄金の島」として知られており、1601年(慶長6)から388年間に採掘された金は78トン、銀2,330トンと我が国最大級の産出量を誇った金山です。この島には、確認されているだけで約30もの鉱山が分布しており、その中の西三川砂金山・新穂銀山・鶴子銀山・相川金銀山の4つが主な鉱山で、現在「金を中心とする佐渡鉱山の遺跡群」として世界遺産への登録を目指しています。(2011年11月ユネスコの暫定リストに記載)
▼史跡 佐渡金山 公式WEBサイト
▼佐渡金銀山を世界遺産に(新潟県佐渡市

▼黄金の島・佐渡「佐渡金山」フォトギャラリー


道遊の割戸(どうゆうのわれと)


佐渡へは、新潟港からはジェットフォイルで約1時間、玄関口である両津港に到着します。


佐渡おけさ


島内の移動は車かバスとなり、今回は両津港でレンタカーを借り、佐渡金山(相川金銀山)へ向かいました。所要時間は約40分。


佐渡金山


現在はゴールデン佐渡が管理する観光施設として運営されているこの佐渡金山、街全体に残る産業遺産など見どころ満載なので、前編はまず明治以降の坑道、採掘跡である「道遊坑(どうゆうこう)」を中心に採鉱から近代化産業遺産までを、後編では江戸時代の坑道、採掘跡の「宗太夫坑(そうだゆうこう)」と資料館などをご紹介していきます。

■日本近代化のつち音が聞こえる「道遊坑」

道遊坑は明治32年(1899年)、佐渡鉱山の主要鉱脈「道遊脈(どうゆうみゃく)」の開発を目的に開削された主要運搬坑道で、平成元年(1989年)の操業停止まで使われていました。


佐渡金山?道遊坑


坑道内はこんな感じで、鉱山の各主要坑道とつながっています。


佐渡金山?道遊坑


鉱山内で鉱石を積み込みます。


佐渡金山?道遊坑・トロッコ


鉱石を積んだトロッコは道遊坑の西側にある高任坑(たかとうこう)から破砕場へ運ばれます。


佐渡金山?高任坑


こちらが現在残っている粗砕場跡です。


佐渡金山?粗砕場跡


破砕場を下から見るとこの様な感じで、建物は3段になっています。破砕場では、坑内よりトロッコで搬出された鉱石を、中段にある200トンの鉱倉に貯鉱したもに最下段の建屋内に設置されたクラッシャーで径15センチメートル以下に破砕されます。破砕された鉱石は、ベルトコンベアーで貯鉱舎に貯められていました。


佐渡金山?破砕場


■日本初の西洋式竪坑「大立竪坑(おおだてたてこう)」

佐渡金山の鉱脈は、東西3000メートル、南北600メートルの範囲に分布、この「大立竪坑」はその中央部に位置し、平成元年3月末まで使用されていた垂直の運搬坑道となります。この「大立竪坑」は、ドイツ人技術者アドルフ・レーの式により日本で最初に掘られた西洋式竪坑で、垂直に掘られた深さ165メートルの坑道を横切るように、49.5メートルごとに水平坑道が掘られています。こちらにはエレベータが2基設置され、人や物、鉱石の搬出、搬入に使われました。


佐渡金山?日本初の西洋式竪坑「大立竪坑」


大立竪坑内にある巻上室も今回特別に見学させて頂きました。こちらの巻上機でエレベーターの昇降を行っていました。


佐渡金山?日立製復胴型電動巻上機


こちらは空気圧縮機で、パイプを通して各坑道に圧縮空気を送っていました。この1918年に輸入された米国製横置200馬力圧縮機、国内に現存する圧縮機としては最も古いものの一つとなります。


佐渡金山?米国製横置200馬力圧縮機


■佐渡金山のシンボル「道遊の割戸(どうゆうのわれと)」

佐渡金山の主要鉱脈のひとつ「道遊脈」が地表にと呈した部分を採掘した江戸時代の露頭堀跡で、金山開山当初からはい初された最古の採掘跡の一つです(当記事最初の写真が全景となります)。割戸の深さは約74メートル、幅は約30メートルにもわたり、山頂から断崖絶壁を成すこの様な採掘跡は世界的にも極めて珍しく、国の史跡にも指定されています。


佐渡金山?道遊の割戸


尚、佐渡金山・相川地区のマンホールアートは、この「道遊の割戸」となっています(^^)


佐渡金山?マンホールアート「道遊の割戸」


こちらは明治18年(1885年)、初代佐渡鉱山局長に就任し、佐渡鉱山の第2次近代化に貢献した大島高任(たかとう)を祀った「高任神社」です。大島高任は、明治期日本鉱業会の第一人者で、佐渡金山では新立坑の開削、製鉱場の建設、大間港開港などに尽力しました。


佐渡金山?高任神社


■近代産業遺産の数々

こちらは「搗鉱(とうこう)場跡」。搗鉱場とは、品位の低い鉱石を粉砕し、水銀を用いて金を回収する工場です。明治34年の記録では、1日に200トンの構成を粉砕したとされています。


佐渡金山?搗鉱(とうこう)場跡


こちらは「青化精錬所・浮遊選鉱場跡」。鉱石から金銀を抽出する選鉱・製錬所跡で、その規模は東洋一と言われ、月間7万トンの鉱石処理が可能でした。


佐渡金山?青化精錬所・浮遊選鉱場跡


こちらは「シックナー」。鉱石の精錬過程で出る泥状の鉱物を洗い、鉱物と水に分離するための施設です。これは直径50メートルのシックナー。


佐渡金山?シックナー


前編最後は生産品の搬出や生産に必要な物資の搬入で使用された「大間港」を。写真右側には鉄骨造のトラス橋があり、下に停泊させた艀に鉱山を落下させて積載したとされています


佐渡金山?大間港


後編では江戸時代の坑道、採掘跡の「宗太夫坑(そうだゆうこう)」と資料館などをご紹介いたします。(後編は近日公開)
▼世界遺産登録をめざす日本最大級の金銀山「佐渡金山」―黄金の島・佐渡(後編)


佐渡金山

  • 撮影者:GOLDNEWS
  • 場所:新潟・佐渡市 佐渡金山

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