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2020年のオリンピック・パラリンピック開催地が東京に決まった。7年後のイベントだが、今から世紀の瞬間に向けて準備をしておいた方が、“その時”の感動もひとしおというもの。そこで、お祭りムードを高めるのに役立つオリンピックトリビアを紹介する。これを読めば、五輪が待ち遠しくなること間違いなしだ。

最初のオリンピック種目は、競争のみ

現在のオリンピックの前身にあたる「オリンピア祭典競技」(古代オリンピック)は、紀元前776年に始まったとされている。最初に行われた競技は1スタディオン(約191m)のコースを走る競争だった。この第1回大会から第13大会までは、競争1種目のみだったという。

古代オリンピックでは競技を全裸で行っていた。ユニークな競技の数々も

古代オリンピックには様々な種目があった。

「ドリコス競争」…距離は大会によって異なるが、スタディオンの直線路を10往復する競技が通例。タイムを計測するのではないため、競技者はスローペースで駆け引きを繰り返し、ラストスパートが勝敗を決めていたといわれる。

「ボクシング」…現行ルールとかなり異なり、時間制限がなく、インターバルもはさまなかったとされている。また、体重別の階級も存在せず、決着は相手のギブアップによってのみついていたという。

「パンクラティオン」…素手ならどんな攻撃をしてもよいという競技で、関節技や首絞めなどもOKだという。ボクシング同様、どちらかが負けを認めない限り、勝負が決することがないという危険な競技だった。

また、古代オリンピックでは、不正を防ぐために全裸で競技が行われたという。

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優勝者に銀メダル、3位に表彰状のみが贈られた大会がある

近代オリンピックの第1回目となるアテネ大会(1896年)では、優勝者に銀メダルが贈られた。準優勝者には銅メダル、そして3位には表彰状のみが贈られたとされている。現在のように優勝者に金メダルが贈られるようになったのは第2回のパリ大会から。ちなみにそのパリ大会では、パリ万博と重なったことも手伝ってか、メダル製作が間に合わず、入賞者にメダルが贈られたのは陸上競技だけ。しかも贈られるまで最長で2年もかかったという。

今後破られないであろう、マラソン最長記録「54年8か月6日5時間32分20秒3」

記録したのは第5回ストックホルム大会(1912年)の日本代表・金栗四三選手。マラソン競技中に日射病で意識をなくし、近くの民家で介抱を受けている間に競技が終了してしまったため、棄権の申告ができなかった。

その後、棄権申告が出ていないことを知ったオリンピック委員会が、金栗氏を1967年のストックホルムオリンピック開催55周年式典に招待。ストックホルムのスタジアムでゴールテープを切ることとなった。オリンピック委員会の粋な計らいによって生まれた、心温まる珍記録だ。

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フルマラソンの42.195キロは、わがままから生まれた?

マラソンの距離は42.195km。何とも中途半端な数字にまつわる、こんな逸話がある。第4回ロンドン大会(1908年)で、当時のアレクサンドラ王妃がゴール地点を競技場のボックス席前にするよう要望。それまでのオリンピックでは約40kmの距離を走行していたが、時の権力者の“わがまま”により、中途半端な数字がゴールとされるようになった。そして、第8回パリ大会より、正式に42.195kmがマラソンの距離として定められたという。

金メダルの値段は2万8,000円?

メダルにはオリンピック憲章で決められた大きさや純度などの細かい基準があり、金メダルには最低でも6gの金が使用が義務付けられている。仮に最低の6gしか使用されていなかったと仮定すると、金メダルの値段は、銀の土台部分を除くと約2万8,000円(2013年9月時点の金相場で換算)ほどにしかならない。

だが、オリンピックの晴れの舞台に立てた経験、そして絶え間ない努力と自己研鑽(けんさん)の日々によってつかみとった金メダルの価値は、間違いなくプライスレスだろう。ビバ! オリンピック!