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エリザベス1世の肖像画(1600年ごろ)。1559年に行われた戴冠式のときに着ていた金色のローブをまとっている。(IMAGE COURTESY OF NATIONAL PORTRAIT GALLERY, LONDON, UK/BRIDGEMAN IMAGES)

英国の黄金時代を築いた女王エリザベス1世の生涯

2022.06.07
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 英国では、2022年6月2日から5日にかけて、女王エリザベス2世の「プラチナ・ジュビリー」のさまざまな祝典が行われた。プラチナ・ジュビリーとは即位70周年を祝う記念行事のことで、エリザベス2世の在位期間は英国の君主のなかで史上最長だ。

 同じ名前を持つエリザベス1世(1533年~1603年)は16世紀後半にその名を歴史に刻んだが、それは治世の長さによってではなく(在位期間は45年足らず)、政治的、対外的、芸術的な面でイングランドを発展させ、「黄金時代」を築き上げたことによる。聡明で強い意志を持つエリザベス1世はその生涯を通じてさまざまな試練に直面したが、それでも、乗り越えられないものはなかった。(参考記事:「エリザベス1世顧問の「魔法の鏡」はアステカ産と判明」

多くの臣下たちに囲まれたエリザベス1世の夏の定期巡幸の様子。(IMAGE COURTESY OF PRIVATE COLLECTION/BRIDGEMAN IMAGES)
多くの臣下たちに囲まれたエリザベス1世の夏の定期巡幸の様子。(IMAGE COURTESY OF PRIVATE COLLECTION/BRIDGEMAN IMAGES)

家族の問題

 エリザベスは最初から女王になると目されていたわけではない。彼女は1533年9月7日、イングランド国王ヘンリー8世とその2番目の妻であるアン・ブーリンのもとに生まれたが、1536年に母親のアン・ブーリンが姦通罪と反逆罪で処刑されると、庶子とみなされて王位継承権を失った。だが、その後再び王室に迎えられ、王位継承順位第3位となった。

イングランド王ヘンリー8世の肖像画。(IMAGE COURTESY OF NATIONAL PORTRAIT GALLERY / NATIONAL GEOGRAPHIC IMAGE COLLECTION)
イングランド王ヘンリー8世の肖像画。(IMAGE COURTESY OF NATIONAL PORTRAIT GALLERY / NATIONAL GEOGRAPHIC IMAGE COLLECTION)
ヘンリーがアン・ブーリンと結婚したことにより、イングランドはローマ教皇と断絶するはめになった。アンは1533年にエリザベス1世を産んだが、男児が産まれることはなく、1536年に処刑された。(IMAGE COURTESY OF MUSEE CONDE, CHANTILLY, FRANCE/BRIDGEMAN IMAGES)
ヘンリーがアン・ブーリンと結婚したことにより、イングランドはローマ教皇と断絶するはめになった。アンは1533年にエリザベス1世を産んだが、男児が産まれることはなく、1536年に処刑された。(IMAGE COURTESY OF MUSEE CONDE, CHANTILLY, FRANCE/BRIDGEMAN IMAGES)

 1547年にヘンリー8世が崩御すると、エリザベスの異母弟エドワード(ヘンリー8世の3番目の妻ジェーン・シーモアの息子)が10歳で王位に就いた。しかし、病弱だったこの王も1553年に亡くなり、やがてエリザベスの異母姉メアリーが女王となった。

 メアリー1世は、ヘンリー8世の時代にローマ・カトリック教会を離れていたイングランドを、再びカトリックの国にしようとした。そうした中、プロテスタント信仰を復活させようとする反乱が勃発、エリザベスはこれに加担したとみなされ、1554年春にロンドン塔に幽閉された。だが、母親と同じ運命をたどるのはかろうじて免れた。

宗教対立

 1558年11月17日に女王メアリーが亡くなり、エリザベスは1559年1月に即位した。人々はこれを歓迎したものの、宗教対立がなくなったわけではなく、国民や臣下の宗教的信条もそれぞれに異なっていた。

ギャラリー:英国の黄金時代を築いた女王エリザベス1世の生涯(写真クリックでギャラリーページへ)
ギャラリー:英国の黄金時代を築いた女王エリザベス1世の生涯(写真クリックでギャラリーページへ)
エリザベス1世の肖像が刻まれた、イングランドの貴重な金貨。(PHOTOGRAPH BY HOBERMAN COLLECTION/UNIVERSAL IMAGES GROUP/GETTY IMAGES)

 国を二分させた宗教対立の中にあっては、全員が納得できる解決は不可能だ。また、ローマ・カトリックと和解すれば自らの正当性が失われることになる。そう悟ったエリザベスは、プロテスタントの復活に向けて舵を切る。ただし、もうカトリックに戻ることはないと明言しつつも、外向けの宗教的な寛容さを保ち続けることも明らかにした。

結婚の問題

 次の問題は結婚だった。母親、父親、そして姉の経験を踏まえれば、後継者の確保は悩ましい問題だった。外国人と結婚すれば、必然的に外国との軋轢や同盟関係が生じることになる。臣下と結婚すれば、派閥ができたり、嫉妬が反乱につながったりする可能性がある。

 そこでエリザベスがとった解決策は、言葉を濁し続けるというものだった。結婚するのではなく、当面独身のままでいて、国家および臣民と結婚するとした。エリザベスはこう述べている。「イングランドには女の主人が一人いるだけで、男の主人はいない」

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