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切り取って使えた江戸時代の銀貨「丁銀」とは?

【江戸時代の貨幣制度 第5回】


必要に応じて道具を使って切り取ることが可能であり、重さも大きさも形のまちまちな貨幣が江戸時代に存在した。大坂を中心に広く使われていた「丁銀(ちょうぎん)」の秘密にせまる。


 

慶長丁銀(日本銀行貨幣博物館蔵)
丁銀の表面に押されている極印は5種類あったが、組み合わせは決まっておらず、数も8個から12個程度とこれも一定ではなかった。

 

「えっ? おつりがないの?」

「仕方ないなあ、このお金を切るから道具貸して」

 

 こんな会話が江戸時代に店先で交わされていた。お金を切ったら犯罪にならないのか? 確かに現在では貨幣を故意に傷つけたり、紙幣を切ったりしたら罪に問われるが、江戸時代には必要に応じて切って使用されたと考えられている貨幣が存在した。

 

  江戸時代のお金といえばすぐに思い浮かぶのが小判と、銭形平次(ぜにがたへいじ)などでおなじみの穴が開いた銭だが、そのほかにも海鼠(ナマコ)型の丁銀という銀貨なども流通していた。先ほどの話はこの丁銀のことだ。

 

 江戸で幕府を開いた徳川家康は、通貨を金で統一したかったようだ。しかし、関西では銀貨の人気が根強く、関西商人の財力と反発を鑑みて、銀貨を根絶しなかったとされている。当時、関西で使用されていた銀貨は丁銀と呼ばれる海鼠型のものであった。この海鼠型は、同じ大きさや形に成型しづらかったのだろう。重さは3050匁(もんめ)で、大きさもまちまちなので重さを計って使用した。金が主流である江戸では、両替商で金貨と取り換えること必要だった。現在の外貨のように変動制であったから、なかには相場を読んで儲ける者もいたという。

 

 丁銀は、厚みも一定ではなく「慶長丁銀(けいちょうちょうぎん)」とよばれる初期のものは後期のものに比べて薄い。これならば道具を使って切り取ることができたようだ。実際、たがねで切り取られたと思われる丁銀が発掘されている。

 

 しかし、いちいち店先でたがねを使って銀を切り取るのは時間がかかるし、思うように切り取れないこともあったのだろう。やがて豆板銀とよばれる豆粒のような小さな銀貨が登場。丁銀で不足する分をこの豆板銀(まめいたぎん)で補うことにより、丁銀を切り取らなくても済むようになった。そのためか元和年間(16161624)には丁銀の切遣いが禁止されている。すぐには徹底させなかったようだが、丁銀の厚さが増して切り取りが難しくなり、いつの間にか切遣いはなくなったようだ。丁銀の切遣いがなくなったころから丁銀と豆板銀とで一定の重さにしたものを紙に包んだものが流通する。こうすればいちいち計らなくても丁銀を使用することができ、迅速な取引できるようになった。

 

 明和2年(1765)、重さが5匁の明和5匁銀が発行された。重さは一定だが、金と交換する時は変動制の相場に従わなければならない。幕府としては5匁銀12枚(60匁)で1両という固定レートを定着させようとしたのだが、両替商から猛反発があったことなどから発行から1年ほどで、幕府が回収する事態となった。

 

 明和5匁銀が失敗に終わっても幕府は、銀の定量貨幣定着を目指し、明和9年(1772)に、明和南鐐二朱銀(めいわなんりょうにしゅぎん)を発行。これを定着させるために丁銀と豆板銀を回収して明和南鐐二朱銀に作り直した。このため、丁銀や豆板銀のレートが高騰してしまい、それを抑えるため幕府は再び丁銀と豆板銀を作るはめに陥った。同じようなことを繰り返しそのたびに流通量は減っていったが、明治元年(1868)に明治新政府によって廃止されるまで使用され続けた。

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加唐 亜紀

1966年、東京都出身。編集プロダクションなどを経てフリーの編集者兼ライター。日本銃砲史学会会員。著書に『ビジュアルワイド図解 古事記・日本書紀』西東社、『ビジュアルワイド図解 日本の合戦』西東社、『新幹線から見える日本の名城』ウェッジなどがある。

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