金(ゴールド)を手元に置くことは、権力・財力、安心感をもたらす品を手元に置くこと

 金(ゴールド)は、数千年間、人類とともに存在してきました。古代エジプトや日本の古墳時代には、その魅惑の輝きを放つ物質は権力の象徴でした。また、物々交換の時代が終焉(しゅうえん)する方向に進み始めたのは、人類が金(ゴールド)にお金の機能をあたえたことがきっかけでした。

 そんな歴史を持つ金(ゴールド)ですが、はじめて1キロバーの金(スマートフォンくらいの大きさ)を手のひらに乗せた現代人が真っ先に口にするのは、「見た目以上に重い」「えー!?こんなに重いの?」などの重さに関する感想です。

 これは、1キロバーを展示した当社のイベントで、筆者が実際に何度も耳にしたお客様の声です。その重さに人類の脳は錯覚を起こすのです(筆者もはじめはそうでした)。

(筆者の個人的な感覚ですが)金(ゴールド)を手のひらに置いた時、魅惑の輝きに魅了されながら、権力や財力が増した感覚がふつふつと湧いてきて、同時に安心や安定感が広がり、不思議な感覚につつまれます。

 まるで人の感覚が、金(ゴールド)を手のひらに置くとそうなるように設計されているかのように、です。

 本物の重さと輝きをじかに体験してしまうと、人類は金(ゴールド)の前になすすべがないのかもしれません。人類がこの物質に価値があり、お金だと認めたのもうなずけます。

 また、金(ゴールド)は地球上に五輪プール2.8杯分(2020年時点 筆者推定)しかない、優れた電導性や伸縮性があり電子製品にも使われている、多数の中央銀行が大量に金を保有しているなどの追加の知識が加わると、金の世界への没入感がさらに増します。

 いつの時代も、金(ゴールド)を手元に置きたいというニーズは、一定程度、存在します。金が魅惑的な輝きを放ったり、類まれな特性を持っていたり、得(え)も言われぬ安心感をもたらしてくれたりすることがその動機とみられます。

 このような感覚的上の動機に加え、個人的には、人類のDNAに金(ゴールド)に「じかに」触れた時、虜(とりこ)になるよう、情報が刻み込まれているからだと、考えることすらあります。

 保管の仕方、盗難防止策の講じ方など、考えるべき点はありますが、手元に置くことは、人類にとって意味のある行為であると言えると思います。

 こうした点に加え、もう一つ、金(ゴールド)を手元に置く意味があります。この点を述べる上で、そもそも誰のために資産運用を行っているのか? そして、今後の日本がどうなりそうか? について考える必要があります。