古代ギリシャ―ライオンのコイン
今日は古代ギリシャのコインに頻繁に登場する動物「ライオン」にスポットを当ててご紹介したいと思います。
紀元前の古代ギリシャでは様々なものがコインのモティーフになりました。多くは神話や伝説に基づく寓意的なものですが、それに次いで自然や動植物を表現したものも多く見られます。
そしてその中でも「ライオン」は大変人気のあるテーマだったようで、各地で造られたコインにその姿が表現されています。
世界で初めて本格的な金属貨幣(コイン)を発行したのは、小アジアに存在したリディア王国だとされていますが、そのリディアで最初に生み出されたコインのモティーフはライオンでした。つまり、ライオンはコインに初めて表現されたデザインということになります。
リディアから始まったコイン発行の文化は各地に伝播し、様々な意匠が生み出されましたが、ライオンも様々な姿で表現されることになります。
古代も現在も、ライオン=力強さ、百獣の王というイメージがあり、その猛々しい姿がコインに表現されるのは理解できます。しかし現在人のイメージでは、ライオンはアフリカ大陸のサバンナに生息する動物であり、本来ギリシャやヨーロッパのイメージとは縁遠い動物のようにも思えます。
実は古代のヨーロッパ、地中海周辺には多くのライオンが生息してのではないかと考えられています。
現在アフリカのサバンナに生息するアフリカライオンは、今からおよそ5000年前まではアフリカ大陸全域とアラビア半島、小アジア、インド、そしてギリシャを含めたバルカン半島南部にまで分布していたとみられ、各地で亜種とみられる化石も見つかっています。
特に、北アフリカ~地中海沿岸部に分布していたバーバリライオン(またはアトラスライオン)は、古代エジプトやギリシャ人にとって身近な猛獣の一つでした。最大4m近くにもなる巨体と、黒く豊かな鬣は、当時の人々にはまさに「百獣の王」にみえたことでしょう。またサバンナに生きるライオンとは異なり、森の中で生活していたことも特徴です。
より北に移動した亜種には「ヨーロッパホラアナライオン」という種も存在し、これは名の通り洞窟で単独生活をしていたとみられることから名付けられました。
こうしたヨーロッパのライオンたちは、古代の神話にも度々登場し、重要な役割を演じています。
古代ギリシャ神話の一つ「ヘラクレスの十二功業」の一つに、ネメアの谷に住むライオン退治があります。ヘラクレスはミュケナイの王から様々な難題を命じられ、それをこなす為にギリシャ各地へ赴きます。その難題の一つが「ネメアの谷に住む凶暴な獅子の退治」でした。
ペロポネソス半島北東部ネメアの谷には凶暴な人食いライオンがおり、人々から恐れられていました。ヘラクレスは弓で射殺そうとしますが、その毛皮は刃物を通さない鋼のような硬さでした。そこでヘラクレスは武器を捨て、素手でライオンを取り押さえて絞め殺すことにします。洞窟に追い詰めたヘラクレスはライオンと取っ組み合い、その豪腕でついに凶暴な獅子を倒すことが出来たのです。
ヘラクレスはこのライオンの毛皮で頭巾を作り、戦いの際には常に被るようになりました。ヘラクレス像がライオンの毛皮を頭に被っているのはその為です。また、この時殺されたライオンは天空のゼウス神によって迎えられ、十二星座のひとつ「獅子座」にされたと云われています。
※古代ローマで造られたデナリウス銀貨(BC80年)。自らの武器である弓矢と棍棒を捨て、身体一つでライオンを締め上げる姿が表現されています。
こうしてライオンは古代ギリシャ人の文化にとって身近な存在となり、また人間の強靭さや神々の超自然性を象徴するものとして認識されました。
一方、オリエント(東方世界)でもコインに頻繁にライオンが表現されていましたが、それはむしろ支配者である大王の権威を強調するものでした。古代ペルシアやバビロニアのレリーフには、ライオン狩りをする王の姿が多く見られます。ライオンは強靭な動物であるため、それを仕留められる大王は超自然的な力を持った人間として表現されたのです。
尚、現在のインド~イラン~中近東に多く生息したライオンはアジアライオン(インドライオン)と呼ばれる種類であり、体長は2m以下で鬣は短い点が特徴です。これらの個体の一部はヨーロッパにも進出していたと見られ、その亜種は「ヨーロッパライオン」と呼ばれています。
ヘレニズム時代以降、オリエント地域やインド=グリーク王朝で発行されたコインには、鬣が短く痩せ型のライオンが多く表現されており、当地で見られたであろうライオンの姿を今に伝えています。
古代インドでもライオンは「百獣の王」と認識され、獅子は仏教において神聖な動物の一種とされていました。またペルシアなどと同じく王の権威を象徴する動物とされたことから、王の名において発行されたコインにも表現されたようです。
ライオンはギリシャやローマでもキュベレ女神やディオニオス神(バッカス神)信仰に結びつけられたり、後世のキリスト教でも寓意の一つとして盛んに取り入れられました。古来より宗教上のモティーフとして多く表現されていた、人気の動物であったようです。
ギリシャ~インドまで、古代文明が栄えた地域ではライオンが比較的身近な存在でした。しかし現在、ライオンの生息地は限られたものになっています。
ライオンの減少はすでに古代ギリシャ・ローマ時代には始まっていたと考えられています。
上記でご紹介したバーバリライオンは北アフリカ~小アジア、バルカン半島に至る広域に生息していましたが、人間の居住地が拡大するにつれて減少してゆきました。身体が大きく鬣も立派なこのライオンは人々から恐れられた一方で、格好の狩猟対象にもなっていました。牧畜の敵として駆除が進められたほか、多くのライオンは人間のライオン狩りによって姿を消したのです。
ローマ帝国の時代になると、ヨーロッパや小アジアではライオンが見られなくなっていたようで、主に北アフリカの属州からライオンを調達したそうです。そのため北アフリカに生息していた個体は更に乱獲され、生け捕りにされてローマに輸送後、円形闘技場での剣闘士試合に出場させられたり、罪人の見せしめ処刑に使われるなど、見世物として消費されてゆきました。
当時は帝都ローマのみならず、ガリアや小アジア、北アフリカなど各地に円形闘技場は存在し、同じようにライオンが消費されていたとみられています。ライオンを生け捕りにすることは大変危険ですが、人気がある故に換金性が高く、アフリカの部族にとっても重要な収入源になっていたと考えられます。
モロッコでは19世紀末~20世紀まで野生種が生息していたようですが、その僅かな種もライオン狩りによって絶やされています。
もともと繁殖力が弱かったオリエント~インドのアジアライオンも開発と乱獲によって減少し、20世紀初頭には20頭にまで数を減らしました。
かつてヨーロッパから小アジア、ペルシア、北アフリカで広く見られたライオンの野生種は完全に絶滅し、今や自然の中でその姿をみることはできません。
現在、アジアライオンとバーバリライオンは各国の動物園や自然保護区で個体数が確保されていますが、どちらも人間の管理下でわずか数百頭程度しかいない絶滅危惧種です。
かつて地中海~オリエントの文明に馴染み深かったライオンの猛々しい姿は、神話や物語によって語られ、後世まで伝えられました。そして現在では、古代遺跡から出土した壁画やレリーフ、彫刻、装飾品やコインの中にその姿が留められています。