Vol.21-江戸は日本橋に“箔座”再び!
「箔座」ってご存知ですか。
そうです。私どもの社名でありブランド名です。
では、ほかにも「箔座」が存在していたことはご存知でしょうか。それも江戸時代に。
「箔座」とは、江戸時代、1696年に幕府が設けた金銀箔類の統制機関で、全国の金銀箔類を製造面でも販売面でも完全に管理していました。「箔座」は江戸に本座がおかれ、大坂にその出張所が設置されただけ。
箔の生産元はもちろん、すべての製品を管理して「箔座」の印がないものは一切売買禁止でした。 しかも管理したのは箔だけでなく、箔になる前段階の“上澄”や材料である金銀などの地金までもです。さらに1705年には統制が一層強化され、「箔座印」があろうがなかろうがとにかく禁止! 箔の売買は「箔座」限定のものだったのです。
やがて、第五代将軍 徳川綱吉の死去とともに「箔座」は廃止となりましたが、その権限は、それぞれ金・銀貨の鋳造や鑑定・検印を行う機関「金座」と「銀座」に引き継がれました。金箔は「金座」、銀箔は「銀座」。製造においては、金箔は江戸と京都の箔屋、銀箔は京都の定職人以外には許されなかったといいます。
わが社の社名・ブランド名は、金箔の歴史において実在したこの「箔座」に由来しています。
世界に誇る技を残し、質の高い箔をつくり、重要な建造物を手がけるなど日本の伝統文化に貢献できる箔のギルドの中心でありたい、という思いをこめて「箔座」となりました。
しかし。縁とは不思議なものですねえ。箔座話には続きがあるんです。
幕府から「箔座」を命じられた名主が二名いまして、その両名宅はいずれも現在の東京都中央区内、日本橋近くにありました。また、現日本橋3丁目にはかつて「箔屋町」が存在し、箔の職人が多く居住していたそうです。今でもその町名を冠したビルもあります。
「箔座日本橋」は、そう!日本橋にあるのです。
そして「箔座」の権限を引き継いだ「金座」は現在の日本銀行の場所にありました。「箔座日本橋」のすぐ近くなんです。時代を超えて日本橋の地に「箔座」再び!
まだまだこれだけでは終わりませんよ。
「箔座日本橋」の大人気商品の「一寸金鍔・小判金鍔」、「榮太樓飴・金ぺいとう」をコラボレーションした日本橋の老舗銘店・榮太樓總本鋪さんの日本橋本店に置かれている「赤玉石」。こちらは、幕府の命により「金座」を務めていた後藤家の家屋敷にあったものとのこと。これも「箔座」が繋ぐ不思議なご縁ですね。
ブランド名決定の際は、こういうご縁が生まれる未来は想像もしなかったことと思います。
いや、でもどうかなあ…ここだけの話、わが社の社長は「エスパーですかっ!?」と思うほど直感が鋭いので、何かしら感じるところがあったのかも知れません。私の小悪事もバレていないかヒヤヒヤものです。
箔座オンラインショップ
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