三井物産、ロンドン・ニューヨークでの貴金属取引から撤退
日本の連休中にロンドンでショッキングなニュースが流れました。今週は短いですが、私も個人的に思い入れがあるので、このニュースを題材にします。
三井物産がその子会社Mitsui & Co. Precious Metals Inc(MPM)という100%の米国子会社で行っていた貴金属のビジネスから撤退するということで、今年年内いっぱいをもって、ニューヨークとロンドンでのオペレーションを閉鎖するというニュースです。
このニュースの中では触れられていませんでしたが、香港の支店も来年2月末くらいで閉鎖する模様です。東京の本体がどうするのかこの時点ではまだはっきりしませんが、ロンドン・ニューヨークといった重要な拠点を閉鎖するということは、貴金属を取引する上ではほぼ致命的であり、東京だけでやっていくことは不可能ではないにしろ、そのできることの範囲が大きく狭められることは確実です。
私も個人的に三井物産の貴金属部(後ほど商品市場部に改名)で働いていた時期が14年間ありました。(1992年?2006年末)その間、ロンドン・ニューヨークとは非常に密に取引をしていましたし、香港にいたってはその設立に直接かかわったものです。今ではもうその頃のメンバーの多くが代わってしまっていましたが、それでも個人的には、もっともマーケットが活発だったころに、とても「濃い」時間を世界中のすばらしい仲間たちと共有できたことは、自分のディーラー人生においても、もっとも充実した時間であったと思います。
三井物産は1970年から貴金属の取り扱いを開始し、Tocom(当時の東京金取引所)ではもっとも早く取引を開始したうちの一社であり、そこから豪州のゴールド鉱山会社のビジネス、金貯蓄口座、商品ファンド、Tocomの裁定取引を中心としたゴールドディーリング、そして海外でのトレーディング子会社展開と次々と新しいフィールドを開拓していったパイオニア的な存在でした。
自分がこの動きの中の14年間、特にTocomの裁定取引を中心としたディーリングの開始と強化、そして同時にロンドン、ニューヨークそして香港への海外展開に直接的に関わることができました。それは当時おられた偉大なリーダーの存在が大きく、また時代も今のように規制でがんじがらめにされる前の話であり、勇気と実行力があれば何にでもトライすることができた、おおらかなそして素敵な時代であったと言えるだろうと思います。そんな時代にあそこのにいられたことが、非常に光栄なことでした。できれば「やめなければよかった」と、やめてほぼ10年経つ今も、そしてこの先も思えるような存在で、いつまでもいて欲しかったのですが、ごらんの通り残念な幕切れになってしまいました。当時いた人々の大部分は世界でもほとんどもはや三井にはいなくなり、(引退や転職)逆にそれは不幸中の幸いであったかもしれませんが。。
現在ロンドンでは、MPMはシルバーのLBMA価格決定プロセス(昔のFixingです。シルバーはCMEとロイターのシステムで行われています。)のメンバーになっていますが、ここからも撤退ということになります。そしておそらく今回の撤退に多大な影響を与えたと思われるのが、スイスのWEKO(スイスの競争委員会。日本の公正取引委員会にあたると思われます。)から、貴金属市場での価格操作の疑いがあるということで調査を受けていることです。この疑いは三井以外にUBS、ジュリアスベアー、ドイツ銀行、HSBC、バークレイズ、モルガンスタンレーがその対象になっており、初期捜査では価格のスプレッドにおける談合という話が出ていますが、WAKOの担当者によると、捜査の結果は2016年か2017年にまとまるということで、これはまだまだ長期戦になる模様です。三井物産がそのような状況を押してでもこの商売に固執する価値はないという判断を下したのかもしれません。
これまでドイツ銀行、そしてバークレイズが、コモディティのビジネスからの撤退を表明し、実際にそうしており、Mitsui & Co. Precious Metalsは主要なマーケットのメンバーとしては3社目の撤退となります。この文章を書いている最中にも、正式なnoticeが来ました。“We have made the difficult decision to exit the precious metals business.”という文章から始まる文章でした。本当にやめるのだなと思うとやはり悲しくなりますね。いまだにニューヨーク、ロンドン、そして香港にいる友人たちの今後の身の振り方が気になります。そしてもちろん、縮小が続くコモディティの市場も。