こがね守で金運・財運にご利益が!?―岐阜・金神社(こがねじんじゃ)
キーワード神社
岐阜駅・北口から目の前の大通りである平和通り(金華橋通)徒歩10分強の場所に、その名もズバリ「金神社」があります。読み方は「金神社=こがね神社」で、古くから金運、財運に利益があるとされています。
▼金(こがね)神社 公式WEBサイト
駅からまっすぐ北に歩いてくると、平和通側に面した「透塀」が見えてきます。
こちらが南側の鳥居。ちょっとその名前だけでアガります(^^)
ズズッとズーム。
鳥居をくぐるとこんな感じ。左側が「金(こがね)神社」の本殿、右側は「金祥稲荷神社」となります。
「金(こがね)神社」の本殿に。
金神社由緒
金神社は古来より産業繁栄、財宝・金運招福、商売繁盛の御神徳あらたかな神として、篤い信仰を集めており、御鎮座の年代は遠く昔、成務天皇の御代(西暦135年)に物部臣賀夫城命が国府をこの地に定め篤く金大神を崇敬されたと伝えられる当神社の主祭神渟熨斗姫命は、景行天皇の第六皇女で伊奈波神社の主祭神五十瓊敷入彦命の妃である。伊奈波神社に伝わる縁起によれば、五十瓊敷入彦命は朝廷の詔を受け奥州を平定したが、その成功を妬んだ陸奥守豊益は一足先、都に戻り謀反の心ありと報告したため朝敵とされこの地に至り討滅された。夫の死を聞いた渟熨斗姫命は深い悲しみの中、 都を発ち御跡を慕ってこの地を訪れ、夫の御霊を慰めつつ生涯を終えられた。その間命は 地域住民を母の如く労り、私財を使い町を開拓され産業・農業の発展に寄与され、後に 岐阜の街の基盤となった。慈悲深い命の功績を慕い人々が集まり財をもたらす神として 信仰されるようになり、この地に金大神と称され祀られた。
(金神社公式WEBサイトより引用)
勝運・金運・招福の御守がズラリ。
一番人気はこちらの「こがね守」。
ちなみにお隣には「金(こがね)公園」があります。写真のオブジェは長良川の水位表示塔です。
公園内には名鉄の丸窓電車(モ510形)も保存、設置されています。
近年ではパワースポットとしても取り上げられることも多いこの「金(こがね)神社」。岐阜に行かれる際には、この珍しい名前の神社へぜひ足を運んでみてください!
▼金(こがね)神社 公式WEBサイト
- 撮影者:GOLDNEWS
- 場所:岐阜・岐阜市 金(こがね)神社