信濃国分寺、12年ぶりに姿を現す金箔に覆われた薬師如来像
長野県上田市国分の信濃国分寺で2013年4月28日から5月5日の間、金箔に覆われた本尊の薬師如来像を公開する御開帳が行われた。巳年開扉以外は秘仏となっており、今回の御開帳は2001年ぶり。またあわせて重要文化財である三重塔の古心柱や内部も公開されている。
今から1200年ほど前、朝廷は信濃とか越後とかいう国々に国分寺(僧寺と尼寺があった)という寺を建てさせ、国家の平和を祈らせました。信濃の国では上田市の東方、今の信濃国分寺資料館のまわりに建てられたのですが、その大きさは、今の「しなの鉄道」の線路をこえて、はるかに南の方まで拡〔ひろ〕がっていました。すばらしく大きな建物でしたが、建ててから300年位の間に、この地方の戦いや災害によって、すっかり姿を消してしまいました。
その後、この地方の人々の心からの願いによって、国分寺は再び建てられることとなりました。場所は一段高い土地につくられ、三重塔まであるりっぱな寺ができました。薬師如来をお祀〔まつ〕りしましたので、土地の人は薬師堂と呼んでいました。しかし、国分寺であったころから、毎月八日の日に和尚さんが、お経を上げることになっていましたので「八日堂〔ようかどう〕」ともいわれました。とくに正月の八日にはお参りする人々がたくさんありましたので、今では上田の「八日堂」といった方がよく知られています。(上田市文化財マップより)
また、この近辺のお店の神棚などで、必ず目にするこの信濃国分寺の蘇民将来符。古くから全国各地に伝わる厄除けの護符として知られ、信濃国分寺の蘇民将来符は、ドロヤナギ、ドロノキと呼ばれる樹木を六角塔形に作ったもので、形状や模様の一つ一つに意味があり、6つの側面には「大福・長者・蘇民・将来・子孫・人也」の文字が記されています。
蘇民将来符は毎年1月7日・8日の「八日堂縁日」のみの限定ですが、普段は観光用に小さなサイズ(3寸・約9センチ)のものを購入することが可能です。
▼八日堂・蘇民将来符とは
また、ほど近い佐久市の千曲川スポーツ広場では、毎年ゴールデンウィークに「佐久バルーンフェスティバル」が開催されておりますので、こちらもご紹介まで。
▼佐久バルーンフェスティバル公式サイト