黄金の寺に何があった?清正公を祀る清正宮 ? 大光山 「本圀寺」
京都市山科北部の山麓を流れる琵琶湖疏水を挟み、天智天皇陵の北側にある日蓮宗の大本山の大光山「本圀寺(ほんごくじ)」。元は鎌倉にあったお寺で、1345年に京都に移転、そして何度か京都で移転をし、1971年に堀川七条から、現在地の山科へ移転してきた新しいお寺です。ここは『金は金をよび 赤はパワーのもと』という考えより、山科に移築された際色々な所に金箔貼り、以前から「黄金に輝くお寺」として有名でした。
▼大本山 大光山 本圀寺 公式WEBサイト
本圀寺へと向かう橋。以前はこの橋の擬宝珠も金色でしたが。。
開運門(通称:赤門)。 1592年に加藤清正公が寄進した山門を移築。文禄の征韓時、清正が出陣したと伝わっています。開運勝利の神様「せいしょこ(清正公)さま」 の門を潜ると開運勝利の人生が開けることから「開運門」とも呼ばれています。
こちらその説明。
こちら本圀寺は日蓮宗の大本山の一つで山号は大光山。
中門(仁王門)。左右の仁王像も以前は全身金色でしたが、あれれ。。
全身から一部金色へと変更されています。何があったのでしょうか。。
金装飾の灯籠と満開の桜。こちらも以前は全部金色でした。
本堂前、日蓮上人の像です。
本堂の右手奥にある加藤清正を祀る「清正宮(せいしょうぐう)」。本圀寺は朝鮮出征時の加藤清正の祈願所及び菩提所であったとのこと。
見ての通り黄金の鳥居です。
清正公廟。
加藤家の家紋、「蛇の目(じゃのめ)」と「桔梗(ききょう)」。
ちょうど桜が満開でした。
こちら金銭・財運の御利益がある「九頭龍銭洗弁財天(くずりゅう ぜにあらいべんざいてん)」。そしてこの鳥居も以前は金色でした。。
八大龍王の中で最も神通力の強い神とされ、金運・財運を授けられると言われ、龍神から流れ出る霊水でお金を洗い浄財袋に入れて持っていると財運がつくと言われています。
こちら大梵鐘は 文禄2年(1593)、豊臣秀吉の姉・日秀尼の寄進によるもの。そしてこの梵鐘も以前は金ピカで異彩を放っていたものです。。
そう、冒頭にも「黄金に輝く大梵鐘には・・・」と書かれています。
鐘の中にはその名残がみられます。
お寺の人に話を聞いたところ、以前は仁王像から梵鐘、灯籠に至るまですべて金色だったが、「品がない」という意見が高まってきたため、一部の色を塗り替えたのだとか。。
まあ、それでもまだ金度合はかなり高いわけではありますが、ちょっとGOLDNEWS的には残念でした(^^;
[2014年4月訪問]
大本山 大光山 本圀寺(ほんこくじ)
〒607-8403 京都市山科区御陵大岩6
大光山 大本山本圀寺は、建長5年(1253)8月、日蓮大聖人が鎌倉松葉ヶ谷に構えた法華堂を始めとされております。 その後、弘長3年(1263)5月には大光山本国土妙寺として創立されました、宗門史上最初の祖跡寺院です。
光厳天皇の勅諚を受けた四世日静聖人により、貞和元年(1345)3月に京都六条へ移遷され、その後、昭和46年(1971)に現在の地・山科へ移されました。
日蓮宗布教院を隔年で開設をして、布教伝道の教えを全国各地の教師に伝えております。また、毎年僧道林を開設して、僧侶の卵を養成しております。
そして、平成19年(2007)より当時の京都六条求法講院を再興し、当山貫首 伊藤瑞叡猊下のご教導のもと、開設しております。嫡々連綿と日蓮聖人の御魂が宿る日蓮宗最初の祖跡寺院です。
- 撮影者:GOLDNEWS
- 場所:京都・山科区 本圀寺