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台湾・金瓜石-東洋一の金鉱として繁栄を極めた地(2)

>>台湾・金瓜石?東洋一の金鉱として繁栄を極めた地(1) はこちらから

日本統治時代、来客のための宿泊施設であった「錬金楼」、そして当時の日本国皇太子(後の昭和天皇)が金瓜石鉱山を視察されるという計画のために立てられた「金瓜石太子賓館」を抜け奥に進むと、台湾金属鉱業公司が事務所として建てた「黄金館」が見えてきます。

■黄金館


黄金館

1階の展示室には金瓜石の金発見の歴史、本山坑道(1?9号)の模型、鉱山創業時の運輸システム、当時の採鉱器具、文献などが展示されています。更に第二次大戦中に日本側に使役された連動群捕虜(1942-45)の説明もあります。


黄金館入り口、坑道体験は50元


金発見の歴史


当時の発行物


金が見えますか?


2階は黄金をテーマとし、金の特性、製作時に必要な工具、金の芸術や、ギネスブックにも掲載された館の宝物、220キロの純金の塊があり、実際に手に触れることができます。 ちらみにこちらは世界で2番目の大きさで、一番は日本の土肥金山にある250kgの金塊のものとなります(詳細はこちら)。尚、取材日の時価は日本円で、、約10億588万9800円!


世界で2番めに大きい金塊。日々のレートにより時価がデジタル表示

重さ220.30kg


工芸品の展示


■本山(もとやま)第五坑道


この黄金館の見学で欠かせないのは、実際に金鉱を採掘していや本山第五坑道。実際に閉鎖していた坑道を修復し、その一部を見学コースとして会報。人g尿で復元した当時の採鉱の状況を見学し、その次代の鉱夫たちの労働環境を体験することができます。


坑道入口


運搬装置


入り口から奥へ


坑道内1


坑道内2(作業風景)


■黄金神社(金瓜石神社)


黄金館の横の山道を登って行くと「黄金神社」があります。Part1でも記載しましたが、こちらは1933年(昭和8年)には日本鉱業株式会社が金瓜石鉱山を買収したその年に冶金の守護神として大国主命、金山彦命、猿田彦命の三神を祀ったこの黄金神社が建立されました。


中央抗


かなり登ります

あと一息


黄金神社の説明

社殿の柱だけが今は残っています


黄金神社から見下ろす風景

金を採掘していた金瓜石では、1905年に硫砒銅鉱が発見され、次第に銅の採鉱が多くなりました。最盛期は人口約15,000人、豊富な産出量を誇り、当時はアジア随一の貴金属山と呼ばれていました。鉱業従事者の生活程度も当時は他に類をみない豊かなものでした。

1945年 、 ポツダム宣言により、台湾が中華民国の統治下に編入、中華民国政府は金瓜石を没収。その後、金瓜石での採掘は、鉱脈が尽き、1985年に廃業へ。

なお、金瓜石鉱山には、開設当時の精錬施設、地下坑道、鉱山事務所、日本人宿舎など建造物がそのままの形で残されている重要な近代化遺産のため、現在、台湾政府では、金瓜石鉱山とそれに関連する集落を、世界遺産に登録する取り組みが進められています。

九份まで観光に来られる際は、是非もう少し足を伸ばして「金瓜石」でゴールドラッシュの面影に浸ってみてはいかがでしょうか。(了)

項目 情報
名称 黄金博物園区 Gold Museum ,New Taipei City Government
所在地 新北市瑞芳区金光路8號
営業時間 火?金9:30?17:00(入場は16:00まで)、土・日9:30?18:00(入場は17:00まで)
WEBサイト http://www.gep-jp.tpc.gov.tw/jcontent/about/about.asp
地図 http://jp.museum.tpc.gov.tw/html/jpmuseum/family/popup.jsp?pname=New1475.jpg

 

当内容は取材時点の情報を元に作成しています。現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

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