帝政ローマコインの銘文
さて、今回は古代ローマコイン、特に帝政時代のコインに刻まれた銘文についてご紹介したいと思います。
古代ローマのコインには、その当時使用されていた「ラテン語」が刻まれています。現在では実用的に使われなくなった言葉ですが、今も使用されているローマ字で表されているため、読み取るのは容易です。
そのため個々の意味さえ理解できれば、コインの理解もよりいっそう深まり、収集が楽しいものになります。
紀元前1世紀までの共和政時代のコインには、貨幣発行責任者の名前やローマを示す「ROMA」の銘が刻まれていました。しかしユリウス・カエサルやマルクス・アントニウスが自らの横顔肖像を刻んだコインを発行すると、その周囲には名前と称号を刻ませるようになります。
続くオクタウィアヌスがBC27年に初代皇帝アウグストゥスとして帝政を開始すると、付属する称号はより多くなり、より長く細かいものになりました。
その後の皇帝たちもその慣例に従い、称号を省略しながらコインに銘を刻ませ続けており、後のビザンチン帝国にまで引き継がれていったのです。
ローマ皇帝によってその称号は様々であり、時代によって表記のあり方も異なりますが、ここでは分かりやすい例を挙げてご紹介します。
表面には皇帝ハドリアヌス(在位:AD117年~AD138年)の横顔肖像が打ち出されています。
左右には「HADRIANVS AVGVSTVS」の銘が確認できます。
「HADRIANVS」はそのまま「ハドリアヌス」、「AVGVSTVS」は「アウグストゥス」です。アウグストゥスの名は、その後の皇帝たちの名前の後に続く称号として使用されるようになり、そのまま「皇帝」を意味する言葉として定着していました。
尚、「CAESAR(カエサル)」は事実上「副帝」というニュアンスで使用されていたようです。
そしてこの頃のラテン語銘では「U」を「V」と表記します。その為「ウ」の音なのか「ヴ」と訳すのかはその時々によって違います。
裏面に刻まれた「COS III」の銘は省略銘であり、「CONSVL III (コンスル3=執政官三回目)」を表します。
この執政官○○回目という表記は、コインの発行年代を特定するのに大変重要な手がかりとなります。ハドリアヌス帝が3度目の執政官に就任したのはAD119年のことだとされているため、少なくともこのコインはAD119年以降に造られたことが分かります。
続くアントニヌス・ピウス帝(在位:AD138年~AD161年)のコインの称号は、より細かくより省略されたものになっています。順番にみていきましょう。
「ANTONINVS AVG PIVS P P TR P XIII」
①「ANTONINVS」=「アントニヌス」
②「AVG」=「AVGVSTVS」=「アウグストゥス」=「皇帝」
③「PIVS」=「ピウス」=「敬虔な」
④「P P」=「PATER PATRIAE」=「パテル・パトリアエ」=「国父」
⑤「TR P」=「TRIBVNICIA POTESTAS」=「トリブニキア・ポテスタス」=「護民官権限」
⑥「XIII」=「8」 ※年代によってこの数字は変化する。
※裏面 ⑦「COS IIII」=「CONSVL IIII」=「コンスル4」=「執政官四回目」
全ての文言を合せて訳すと、
「アントニヌス帝 敬虔な国父 護民官権限の保持八回目 執政官四回目」
となります。
トラヤヌス帝(在位:AD98年~AD117年)は武帝として外征を盛んに行い、ローマ帝国の版図を史上最大にしたことで知られています。その功績はコインの銘文にも現われており、銘文のバラエティも豊富です。
「IMP CAES NERVA TRAIAN AVG GERM」
①「IMP」=「IMPERATOR」=「インペラトール」=「最高司令官」
②「CAES」=「CAESAR」=「カエサル」
③「NERVA」=「ネルウァ」
④「TRAIAN」=「トライアン(トラヤヌス)」
⑤「AVG」=「AVGVSTVS」=「アウグストゥス」=「皇帝」
⑥「GERM」=「GERMANICVS」=「ゲルマニクス」=「ゲルマニア征服将軍」
裏面の銘文は
「P M TR P COS IIII P P」
①「P M」=「PONTIFEX MAXIMVS」=「ポンティフェクス・マクシムス」=「大神祇官」
②「TR P」=「TRIBVNICIA POTESTAS」=「トリブニキア・ポテスタス」=「護民官権限」
③「COS IIII」=「CONSVL IIII」=「コンスル4」=「執政官四回目」
④「P P」=「PATER PATRIAE」=「パテル・パトリアエ」=「国父」
両面の銘文を合せて訳すと、
「最高司令官 ネルウァ・トラヤヌス皇帝 ゲルマニア征服将軍 大神祇官にして護民官権限の保持者 執政官四回目の国父」
となります。
今回は五賢帝時代のコインを例に挙げて紹介しましたが、「AVG」や「CAES」「IMP」「P M」「TR P」といった称号は、その他の皇帝たちにも決まって引き継がれています。
コインに刻まれた銘文はほとんど決まっているので、そこを読み取ることが出来れば造られた年代や背景、希少性が分かります。
しかし古代の手作業による打刻コインですので、どうしても位置がずれたり磨耗したり、または打ち出しの力が弱いなどの理由から、銘文が見切れていたり不鮮明なものが多くみられます。
弊社でも肖像が綺麗に打ち出されているもの、そしてなるべく銘文がはっきり確認できるものを入荷するよう心がけていますが、なかなか簡単にはいきません。
もしローマコインをお持ちの方は、是非ルーペで銘文を確認してみて下さい。読み取れる場合はそれを可能な限り書き取り、銘文の解読に挑戦するのも面白いと思います。
皇帝と銘文を様々な資料で調べることで、生きたローマ史の知識もより深まることでしょう。
古代ローマの文字を解読する機会は考古学者でもない限りありませんが、コイン一枚あればそうした楽しみ方も味わえます。