Vol.4-幕末の英雄が夢見た、黄金の時代
「日本を、今一度せんたくいたし申候」
柔軟な発想と抜群の行動力で、時代の変革期に活躍した坂本龍馬。日本のみならず、世界への視座を持ち続けた彼の生き方は、私たちをいまでも魅了し続けています。
日本で最初のカンパニー『亀山社中(後の海援隊)』を設立し、妻のお龍とは日本初の新婚旅行に出かけたともいわれている龍馬。そんな既存の概念にとらわれない奔放さ、大胆なスケールが今なお多くのファンの心を捉えて離さないのかもしれません。
■実業家・龍馬
龍馬の意外な一面として伝えられるのが優れた金銭感覚、実業家としての才能です。龍馬の父は土佐藩の下級武士。しかし、坂本家は呉服屋や質屋を営む豪商の分家でもありました。そんな裕福な家庭環境のなかで育つうちに、龍馬は武士と商人双方の視点を持った独特の金銭感覚を身に付けていったのかもしれません。これは後の亀山社中設立や薩長同盟の締結などの局面で、大きな力となっていきます。
■大切なもの
そんな龍馬の金銭感覚にまつわるエピソードをひとつ。
龍馬が所属していた神戸海軍操練所が閉鎖された時、龍馬の手元には500両のお金が残りました。側近が当時設立準備中だった亀山社中の資金にと言うと、龍馬は「いや、操練所の訓練生全員で平等に分けよう。お金より大切なものは信用だ。大事を成すには信用が第一だ」と答えたと言われています。目先の利益を追うことで多くの心が離れていくことを身体で理解していたからこその言葉だったのではないでしょうか。
■夢の跡先
龍馬は明治維新の立役者でした。維新間際、龍馬が新政府の構想を西郷隆盛に見せた時、名簿には龍馬の名前が載っていませんでした。西郷が「あなたの名前がない。これだけの功労をしたのに、なぜ役人にならないのか?」と尋ねたところ、龍馬は「私は役人が好きじゃない」と答えました。西郷が「役人にならないで、どんな仕事をするつもりなのか?」と聞くと「では、世界の海援隊でもやりますか」と答えました。
高知県桂浜。そこには、出自の差別なく誰もが自由に生きられる「黄金の時代」を夢見た、幕末の英雄の雄姿が静かにそびえ立っています。